稀勢の里引退で考える『結果を残し続けること』の偉大さ

仕事

「私の土俵人生において、一片の悔いもございません」と涙を流し語った横綱・稀勢の里。
その会見の様子をニュースやワイドショーで目にした方も多かったのではないでしょうか。相撲に詳しくない私ですら、その会見の様子にはぐっとくるものがありました。

日本中が見守った横綱稀勢の里の引退会見

17年春場所で横綱に昇進。久しぶりの日本人力士の誕生に日本が沸きました。しかし、その後も怪我に苦しみ休場や連敗記録など成績は振るいませんでした。進退をかけて臨んだ今場所でも負けが続き、引退の運びとなりました。
稀勢の里といえば、かつて北斗の拳のラオウの化粧まわしをつけたことが話題となりました。17年の夏場所で北斗の拳に登場する「北斗三兄弟」の化粧まわしが贈呈され、稀勢の里はラオウの化粧まわしを着用。その後のインタビューでも「自分の性格的にはラオウ。孤独で強い。先代の鳴戸親方からも『孤独にならないと強くなれない』と言われていました」と語っています。
引退時の会見で「私の土俵人生において、一片の悔いもございません」と語ったそばから、ネットでは「出た!ラオウ」と話題になりました。弟のケンシロウに屈したラオウが絶命寸前に発するセリフ「我が生涯に一片の悔いなし」に、引退の思いを重ねたのではないかと推測されていました。

「悔いなし」の中に見えた「悔しさ」

しかし、その言葉とは裏腹に涙を見せる稀勢の里には「悔しさ」が滲み出ているように感じられました。ラオウのファンだった稀勢の里はいずれ自分が引退をするなら、このラオウのセリフを用いたい、と考えていた。しかし、いざ引退となると言葉とは裏腹にやはり「悔しさ」が残った・・・と思うのは私だけでしょうか?
とはいえ、会見の中で「覚悟をして稽古をしてきた。これでダメなら、と思えるくらい、いい稽古をしました」と言い切ったところはとても素敵でした。「怪我をする前の自分には戻れなかった」としながらも、「いい稽古ができた」と言い切った。世の中に、自分の仕事を「やり切った」「全力で臨んだ」と言える人がどれくらいいるのでしょうか?今後は後進の育成に力を注いでいくであろう稀勢の里が最後に語った「怪我に強い力士を育てていきたい」という言葉に、今までの苦労や葛藤が凝縮されているような気がしました。

『結果を残し続けること』の偉大さ

稀勢の里関の引退を記事にしよう、と思ったのは会見で「これでダメなら、と思えるくらい、いい稽古をしました」というセリフを聞いたからです。スポーツ選手は常に結果が求められる、そしてその結果を残し続けることが求められる、とてもハードな職業です。スポーツ選手と同等の、といったらかなりオーバーにはなりますが、私たちも仕事をするにあたって、常に結果を残すことを求められていると思うんです。
私はライターの仕事をしています。縁あって、昨年から新規の仕事を受注しています。1本目の原稿を納品した時に、クライアントさんからとても褒めていただきました。いわば「結果を残せた」「評価してもらえた」状態でした。ぜひ引き続き継続で発注を、ということでそれ以降毎月お仕事をいただいています。でも、私が評価してもらえたのは、最初の1本目のみ。その後の原稿にはことごとく修正が入り、やり直しも数え切れず。それでも最初は「クライアントあっての仕事だから」「クライアントの意向通り書くのも仕事だ」と原稿と向き合っていましたが・・・あるとき、心が折れました。完成してサイトに掲載された文章を見ても

「これ誰が書いた文章なんだろう」
自分で作りだした感覚も愛着も全くない。
良い文章だとすら思えない。

次の原稿の締め切りが近づいても書けない。「また修正が入りまくるんだろうな」と思うと、自分が書く文章には価値がないように感じられ、書くのが怖くなりました。
「仕事なんだから、クライアントの意に沿うものを納品するのが当たり前」と頭では理解できつつも、意欲的に仕事に取り組む気持ちにはなれませんでした。

自分の価値は自分で決める!

「このままじゃイカン!」ととりあえず仕事を進めるために、情報を検索していた中で印象的な言葉と2つ出会いました。

他人のものさし、自分のものさし、それぞれ寸法がちがうんだな (相田みつを)

なぜ人は他者の承認を過剰に評価して、自分の価値をないがしろにするのか(アメリカの作家・ジェリーミンチントン)

ずっと自分の原稿に価値がない、と思って落ち込んでいた私。しかし、原稿に価値がないのではなく「今回クライアントが求めているもの、ではなかった」と思えば良いのではないだろうか、と思いました。だったらシンプルに、仕事としてクライアントが求めているものを書けるようになれば良いのだ、と。自分が時間と労力をかけて作り出した言葉、文章がボツになり悲観するなら、ボツにならないところで思う存分書けばいい!
と。幸い、私にはこのブログがあります。このブログに自分の思いを発信することで、行き所のなかった自分の気持ちを「救える」といったら大げさですが、自分を評価してあげられるんじゃないかと思いました。世の中には、人に評価されて初めて形となる仕事、人に評価されないと前に進めない仕事もたくさんあります。それでも、やっぱり「自分で納得する」「自分で評価できる」という軸だって大切なハズです。大切な自分の人生、仕事の価値、最後は自分で決めたくありませんか??