「中学受験」という言葉にどのようなイメージを抱きますか?「お金がかかる」「小4から塾通い」・・・中でも「親が教育熱心」と思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。しかし、この中学受験を巡ってはトラブルも多く目にします。ストレスを抱えてしまう親子。受験を前に、親は子どもにどのように関わっていけば良いのでしょうか。
過熱する中学受験の現状
2020年から大学入試が大きく変わります。「センター試験」は「大学入学共通テスト」と名を変え、今までのマーク式から記述問題も多くプラスされます。「知識重視」だったテストは「思考力」「判断力」「表現力」を重視した内容へと変わります。
このような大学入試への対策には「やはり私立が向いている」と考える保護者も多いようです。人気の私立校の中には、高校募集を行わない「完全中高一貫校」も多くあり、中学受験を過熱させるひとつの要因といえます。(麻布、暁星、桜蔭など)
2019年の首都圏の中学受験者数は5万9500名、受験率は20.2%で、共に4年連続で上昇しています(※)
中高一貫校は今後も増えると予測され、それに伴い中学受験もますます増えていく傾向にあると思われます。
※参照元:日能研「私立中高一貫校の時代」2019年7月版
中学受験を巡るトラブルについて
しかし、中学受験を巡っては度々トラブルを耳にすることも。
2016年に中学受験のトラブルから息子を殺害した父親の裁判が、先日ニュースで取り上げられていました。父親は自身の母校である有名私立中学校に進学させるため、息子に勉強させようと日常から厳しく接していたといいます。
この事件は極端な例ですが、言葉や態度が知らず知らずのうちに子供を追いつめているとしたら・・・決して他人事ではないと思うのです。
近年増えつつある「小児うつ」の原因にも、中学受験が絡んでいるケースが多々あるといいます。学校の勉強に加え、毎日の塾通い。予習に復習。それにプラスして「絶対に合格しなきゃいけない」という心理的プレッシャー。大人でもかなりのストレスになるのではないでしょうか。
それを10歳くらいの子供が抱えているのだから、ストレスが溜まるのは当然です。
しかし、中学受験はサポートする親も熱心なのがまた特徴。
「あなたのために言ってるの」
子供のためを思っての言動が、また子供を追いつめていきます。
「あなたのため」が子どものストレスになる理由
「あなたのために言ってるのよ」「約束したのにどうしてできないの?」
正論で問い詰めていけばいくほど、子どもの逃げ場はなくなります。素直な子どもほど、親の言葉をそのまま受け止めてしまいます。
「お母さんは僕のために言ってるんだ」「それなのに僕はできなくてダメなんだ」
テストの点が上がらない、同じミスを繰り返す、といった具体的なことよりも「親の期待に応えられない事」が子どもにとって大きなストレスとなっていきます。
子育てにおいて、「子どもの出来は親次第」のような風潮を感じる場面が多くあります。
子どもの行儀が良ければ「親のしつけがしっかりしている」と褒められ、子どもがニートや引きこもりになってしまうと親は「自分の育て方が間違っていたのでは」と自責の念にかられます。
それが顕著なのが「中学受験」だと感じます。
ネットで検索すると「中学受験は9割が親の努力次第」のような文言を目にすることもあります。熱心な親ほど、子どもへの期待も態度もヒートアップしていきます。
では、熱心に子どもに関わることは「悪」なのでしょうか?
私も子どもを育てる母親の立場として、これは絶対に「悪」ではないと信じたいです。
では、なぜ教育を巡る家庭内トラブルが後を絶たないのでしょうか?
熱心な親は「悪」のように扱われてしまうのでしょうか?
子どもには子どもの人生がある
当たり前ですが、子どもには子どもの人生があります。
そしてそれは私たちの人生とは別のものです。
自分は価値があると信じているものが、子どもにとって価値があるとは限らない。
例え子どもでも、自分の人生を思い通りに生きる権利があります。
子どもの人生が自分の思い通りにならなくても、それを認めて見守ることが大切かなと思います。
【子どもの出来=親の評価】
という構図は、親にも子どもにも苦しいだけ。自分の人生の評価は、自分の人生で求めればいい。それを子どもに託しちゃいけないと思うんです。
熱心な親が「悪」のように扱われてしまうのはナゼか?それは
【そこに子どもの意思がないから】です。
親に言わされている「いい学校に行きたい」なんて言葉は子どもの意思ではありません。
「テストで良い点をとる」「偏差値の高い学校に入る」ついつい親は、目先のゴールに執着しがちです。もちろん、私もそうです。
でも、本当に重要なのはそこではない。
「なぜ勉強するのか」「勉強してこれからどうなっていきたいのか」
親が子どもと関わっていくのは、そこだと思います。
理想論かもしれませんが、今後、自分が子どもと関わっていく上での戒めのためにも残しておきたいと書きました。
親から見たら「間違った道」「回り道」と思える道の中から、子どもは大切な事を見つけるかもしれません。
それを見守っていける強さを持ちたいと思います。